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07/01/2013

私的 wagplaty history 1

このブログを立ち上げた時から
三つのやりたい事ががあったが
手間がかかるのと時期と気分と体調によるので 笑
中々手をつけられなかった

その内の一つが
このバンドの自身の私的ヒストリー

カテゴリーもwagplaty historyで
後々まとめて読める様にしました
まぁ日記も平行して書いていくので
どっちも気が向いた時の更新になる予定

あくまでも私的で文責は自身に在ります
記憶違い
解釈違い等は
コメントか自身にメールでも下さい

では第一回を始めてみましょう

序章

1991年
自身は音楽、出版全般の専門学校の音響系の学科に通っていた
山形では約三年バンドをやり
その時はdr
全然 上達しないdr
音は当時Oiやオリジナルパンクや日本のパンク、HCが好きだった
が 全く消化し切れておらず
中途半端なビートパンクといった所だろうか
そのまま1990年にTKYに来て
そこでもそこの同級生や山形から出てきた奴と
バンドを組むが
やはり何か消化しきれず
もやもやしたままdrも全く上達せず
二年で解散

TKYに来て
山形と仙台で買っていた音源の量とは
完全に情報量違い

自身は田舎の山形で民放二局で育ったにもかかわらず
TVは二年間で多分一時間も見ていない
バイトの給料が入ったら
殆どレコード屋か貸しレコード屋
知り合った友人からは
興味のある音源は
片っ端から借りてダビング
その位、音源漁り三昧

特にアメリカのHCの音源など
田舎には中々無い
一気に入ってきた情報量と
やっている事が比例しない苛立ちが
ずっと、つのっていった

田舎育ちだから
手に入る音源は片っ端から聴いた
今想うと恥ずかしいバンドも好きだったし
観に行ったりもした

でも一番最初に観に行ったHCバンドは
ACIDだったりして良かったと想う 
後にクロさんと遊んだりしてたのを
この時期の俺に伝えたい 笑
確かベスト ラン ファースト 下北屋根裏
同級生でメンバーだったヤマちゃんと観に行った

そして他の同級生には(厳密に言えばA、Bクラスに分かれてたが)
まだアーバンテラーに入る前の
キムちゃんが居た

因みに同窓生では
GOでgtだったNも居たりするし
今はDJ TAKAの名で
パンクDJをやっているY君も居た

同級生でも同窓生でもないのに
ハザード ゴチョウとも
この頃に知り合う 
しかも とあるイレギュラーで
道端で 笑

そうこうしている内に
TKYで組んだバンドも解散し
バンドに未練があったりしたが
卒業も間近になり
バンドを諦め
裏方でHCやパンク専門の
レコーディングエンジニアになろうと決め
とりあえずプロのスタジオエンジニアの道へ

キムちゃんがUTに加入しライヴをやっているのを
追っかけつつ
KGS、イドラ、ランニング チキンズ、スラムパイレーツ等
もその頃に観て衝撃を受ける

結果 右脳で考え感覚重視の自身は
機械が巧く理解できず(この辺は今と変わらず 笑)
直属の上司からの執拗なまでの低レベルなイジメで
エンジニアへの道は研修期間込みで約一年で挫折

今想えば、この職場も
考えようによっちゃあ
自身にとって興味深い人達も
出入りしていて
もっと話を聴いとけば良かったと想っている
(松武さんやYMO関連のスタジオミュージシャン、
ドッキリレコードの頃のINUのエンジニア、横浜銀蠅のアシスタント等)

そして某有名ミュージシャンの仕事も多く
何故か気に入ってもらえたりした 笑

そして後で発覚するのが
この自身を嫌っていた直属の上司は
元UTのEガヤさんの同級生だった 笑
(何故 イジメられたかも話聞いて大体判った)

仕事を辞めた日に
事務所を出て
西新宿に向かい
一日五千円という
安い給料なのに
使う時間も無かった為
(朝の十一時から早くて終電近く、
半分位は始発、大詰めだと次の日の夕方帰宅
なんてザラだった)
多少金は有り
(一日で使う金は夕飯のサンドイッチと
帰ってから家で食うレトルト食品代位)
三万円分のレコードを
取り付かれた様に買い漁って帰った

家で戦利品を聴きまくり
就寝後
スタジオの別の上司二人が
夜中に電話をくれ
自身のやってきた事を理解していてくれて
引き止めてくれたが
レコードを買っている時には
新しい自身の想うバンドを組もう
という欲求が湧き上がりすぎて
有り難かったが
丁寧にお断りした

DK'Sの様に
インパクトのあるパフォーマンスと深い音楽性
NO MEANS NOの様な
深過ぎる音楽性に変拍子を多用しつつも
パンク、HC感が失われない感じで
全部 日本語で独自の解釈でやれないだろうか?

そうは想っていても
結果そんなに洗練された容ではなかったけど 笑
そういうイメージで
まだ名も無かった
このバンドはスタートしようとしていた

メンバーをどうしよう
仕事は1992年3月31日で辞め
次の日のエイプリルフールに
専門学校の同級生、同窓生に電話をしまくり
四月二日には
メンバーはとりあえず揃った
gtはO
drはFさん
baはK

自身はdrではなく
日本語の言葉の面白い感じを
唄える唄い手が居なかったから
唄ってみる事にした

そして次の月の中旬には
まだ名も無い其のバンドは
とりあえず
初スタジオに入っていた rk2


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